子どもは、夢中になる。
大人でも時間のコントロールは難しいと思うのだけど、それを子どもの頃から身につけられたら、とんでもない人になるのではないだろうか。
それとは逆で、夢中な気持ちを大人になっても待ち続けられたら、それもとんでもない人になるのではないだろうか。
この逆説、どっちが良いのだろうか。
僕はとんでもないような人ではないので、どちらが良いかはわからない。
ただ一つ言えることは、傾向は遺伝する。
僕も幼い頃、そうだった。
夢中になると、時間を忘れてのめり込む。
という事は、夢中がマズいのか。
いや、僕は飽きっぽい。
という事は、時間をコントロールできる方が良いのだろうか。
良い塩梅は中途半端なのだろうか。
「塩梅」で「あんばい」と、一体誰が読んだのだろうか。
梅の塩加減が良い感じなのは重要だ。
そんな訳で、夕飯の時間になってもゲームを止めない子供達。
何度言ってもブレない姿勢が続いたせいで、ついに妻の雷が、落ちた。
娘、号泣。息子、狼狽。
家に帰ると、自作の貼り紙が作られていた。
娘はこういう動きは凄く早い。
すぐに動ける機動性の高さは、才能だ。
自分ごとで物事を考えて行動して欲しい、何故ならそれができる人は、主体性があるからだ。
まずは自分の事を自分が意識する。
影響の範囲にあるものを認識する。そんな小難しい言い方はしないけど、少しでも気づいて、無意識のうちに行動できる人になってくれたら良いなと思う。
野球もゲームのようにのめり込んだりするには、どうしたら良いのかなと思ったりしている。
そもそも野球は、というかスポーツは、ゲームだ。
伝える側に工夫が必要という事だろう。
簡単な話、楽しいからハマるのだ。
もしも子どもが思うように取り組まないという事があるのであれば、それはワクワクしていないということなのだろう。
楽しくやっていれば、楽しそうだなと思って寄ってくる。
つまらなくする原因は、教え方なんだろうな。
テレビゲームのやり方をアレコレ横から口出ししたら、多分テレビゲームが嫌いになるのかもしれない。
好きなようにやってみて、失敗したら自分で修正する。わからないことは勝手に調べて、もっと上手くなる。
そうやって、ゲームにのめり込んでいく。
その変換方法、模索中です。
結局、子どもを信じて任せてみるって事なんだろうな。