やきゅいく

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右なのに岡島秀樹モデルを16年使った話

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こども達と野球の自主練習中に、グラブが壊れた。

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このグラブを買ったのは2005年くらいの気がするので、おおよそ16年くらい使っていたようだ。

グラブは一生モノという人もいるので、大事に使えば寿命は長いモノではある。

しかしこのグラブ、汗が染み込みまくってて、もうボロボロだ。

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なかなか歴戦の香りもする。
マウンドに何試合上がって、何回投げたのかは数えようもないけれど、社会人になってからの苦楽の殆んどは、このグラブと共にある。

 

このグラブとの出会いは、偶然という必然だった。

ピッチャーを本格的に始めた僕は、チームでは投手専門になっていた。

グラブもピッチャー用が欲しいなと思っていた矢先に、スポーツ用品店のワゴンにこのグラブはあった。

 

岡島秀樹モデルなのに何故か右利きグラブ。
ある意味レアなグラブであり、当時の岡島が不調という事もあって売れ残っていた。
おかげで5,000円でお釣りが来るという、コスパ最高のグラブだった。

「右の岡島モデル、誰が買うんだよ」といいながら、「逆にネタになる要素満載だな。これはオイシイかもしれない」と思って買ってしまった。

ツッコミどころ満載なグラブなので、その経緯は今だによく覚えている。
そして「右なのに岡島モデル」は、鉄板ネタとして多くの人に話した。

僕は右投げの先発完投型で、目線はミットから切らない。

得意球はチェンジアップという、岡島選手とは殆んどタイプが被らない投手ではあった。

岡島選手との共通点は、某居酒屋さんが知り合いにいるというくらいだ。

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グラブ自体、だいぶ皮はユルくなっているけれど、糸を縫い直せばまだ使うことはできる。

でも、このグラブとの物語はここまでにしておこうと思う。

このグラブとの戦いの思い出は、いくつもある。折角だから、書いておきたい。

 

一線級の大会で投げて勝ったことが懐かしい。

肩が全く痛くない時に投げた試合だ。

絶好調だったこの日は、2失点したものの、援護なく最終回へ。

0-2の2アウト1,2塁の場面で、弟がサヨナラ3ラン打ってくれた。あの試合が一番興奮した勝利投手となった試合だった。

 

その後肩を痛めて塁間も届かなくなり、本当にツラい時期を過ごした。医師にCTを撮って診察してもらったら、肩はもう2度と治らないと言われた。

「数年投げなければレクリエーションくらいはできるようになる」と、言われた数年後。

 

ロキソニン飲みながら、騙し騙しチームに投手として復活。既に絶対的エースが居たけれど、予選を勝ち抜くために、エース温存したい試合での駒不足を埋めるために投げることにした。

実戦のカンを取り戻しつつ、大会で復活登板を果たした。

最終回に僕の牽制ミスで失点したけど、完封寸前まで行く完投勝利でもう一度、羽ばたけた。

 

会社の知り合いを巻き込み、市民大会に素人同然のチームを作って出場。なんだかんだで勝ち続けて、準決勝まで投げ続けた。

父が具合悪くて、少しでも野球で「勝ったよ」というニュースを届けたくて。

3試合、連投しながら勝ち続けた。

4試合目は肩の痛みがヒド過ぎて、制球バラバラ、球速は多分70〜80キロくらい。メッタ打ち食らって大敗をしたけれど。

 

ピッチャー返しは落とした事、なかったな。

 

思い出すと、懐かしい出来事があれもこれも思い出される。

 

これだけは自信を持って伝えて行きたいと思うのは、道具は大切にした方が良いということ。

 

ありがとう、僕のグラブ。

 

永く、お世話になりました。


これから僕は、阪神ファンなのに何故か菅野モデルというギャップを身につけて、前を向いて進んで行きます。