どうも。
3000文字チャレンジの時間です。
文字メディアの凄さというのは、強制的に時間を奪わない事だと思う。
自分が、自分の好きな時間に、好きなペースで読むことができるから。
といいながら、結論になかなか辿り着かずにページリンクをしすぎると、時間を奪うブログと言えるかもしれないけど。
もしくは、この駄文の様な「読んだ意味のない」と感じるものも、ある意味時間を奪っているとも言えなくもない。やかましいわ。
本日のお題は「パクリ」。
まめてんさんが、お店に画像パクられたらしいんです。なんか悔しいから、3000文字チャレンジしたいと思います。
著作権侵害はダメ、絶対!
では3000文字チャレンジぃ〜、
行ってみよー!(どんなノリなんだ)
どんな業界にも、パイオニアという人が存在する。新しい事や、仕組みや、モノを創り出した人に対して、尊敬を込めてパイオニアという。
先駆者の事を英語でパイオニア、というわけなので、そこから来ているみたいだ。
パイオニア、憧れる。
僕がもしもパイオニアなんて呼ばれたら、舞い上がるかもしれない。
「どうも、パイオニアです。」
自分から言うのはどうかとは思うよね。
そもそも、自分からパイオニアを名乗る人は、多分パイオニアにはなれないのだろう。
最初からパイオニアではないよね。
産まれながらのパイオニアとか、居たら怖いものね。牌尾尼亜とか、当て字つけちゃうよ?
(パイオニア言い過ぎなんだけど、敢えて噛みません。シモに行かないパイオニア)
先を進んで切り拓く人があれば、それに追随していく人が出てくる。
追随する人は、先駆者を模倣して、時にはアレンジを加えたり、場合によっては工夫なく、全く同じにしてみたり。
これを世間では、パクリと呼んでいる。
パクリ、パクる、パクれ・・・パクろー?
GLAY?
それはタクロウだろうに。
結構一般的に使われていて、そこそこの頻度で聞く言葉だと思う。
パクるとは、盗用するとか、かすめとる、模倣するという意味に用いられる。
パクるは、やんわり言えばマネをするという言い方が類似語なんだろう。
パクるって、どんな印象なのだろうか。
世論ではポジティブな感じはないと思うのだけど、僕はネガティブだとは思っていない。
Aくんが、Bくんのアイデアをパクった。
この発音に敬意や尊敬の念は無いと感じるし、とても悪い事をしている気さえする。
実際に悪いことかもしれない。
でも、よくよく考えればBくんは、Aくんのアイデアに尊敬があるのです。
マネしたい、パクりたいほどに素晴らしいと認めている。
だから、パクってしまった。
背徳感を感じながら、それを背負ってまでしてマネするって、凄い事だ。
BくんはAくんを、もしくはそのアイデアを完全に認めているのだから。
人がアイデアや作品を創り出した後にそれが世に出たのなら、最終的には誰かに認めてもらいたいという気持ちって、あると思う。
少なくともパクった人は、その作られたアイデアや作品を評価していると言える。
極論だけど、真似されれば真似されただけ、パクられればパクられるほど、そのモノやコトは世間に広まり評価されているということになる。
※著作権侵害を肯定してるわけじゃないです
最初はグー、ジャンケンポイなんて、国民浸透度合いハンパないし。
実際、パクられる事にやりがいや生きがいを感じている人は多いと思う。
最近僕は、少年野球の指導の一端を担っている訳なんですけども、結構子ども達に言っている事がある。
「上手い人のマネをしなさい」
「先輩が良いお手本になる」と。
ちょっと言葉を崩せば「上手い人のプレーを盗め」なんて、臆面もなくいけしゃあしゃあと言えたもんだなと思っている。
「いけしゃあしゃあ」は、標準語なのか方言なのかもわからないけど、この場面におあつらえ向きな言葉だなぁ。
いけしゃあしゃあって、べらんめえ調な感じでワイルドだよね。どうでも良いけど。
「お手本」なんて、お上品な言葉だけど。
言い方変えれば完全に「パクれ」と指導しているわけなのだ。
僕は色んな指導教本を読み漁ったけど、使えそうな物はすぐに練習に取り入れている。
貪欲に吸収して、あたかも自ら考えたかの様にどんどん練習メニューに組み込む。
ほぼ、パクりなんだけども。
本を書いたりしてる方の立場で考えたらこう思うだろう。
私の書いた指導法を取り入れてくれるなんて、本当にありがとう!もっと使って、もっと広めて!
君は役に立つ機関車だと言ってくれ!機関車トーマス!・・・と。
パクられて、とても喜んでくれているはずだ。
少年野球を例に出したけど、仕事に於いてもほぼ、以下同文の事をやっていた。
本読んで実践に移すとか、先輩の仕事のやり方を盗むとか、マネするとか、教えてもらってやってみるとか。
講演会やセミナー、メンタルの本なんかも、その人の考え方を自分に取り入れて、自分を進化させる訳なんだけど。
思考をパクって我が物とするわけだよね。
そして更にアレンジをして、あたかも最初から「自分のアイデンティティはこれぞ!」と、したり顔でやるわけで。
お互いがWin-Winの関係になれたら、パクリパクられ甲斐のある、ステキなことだと思う。
そもそも、人間は模倣する能力があるからこそ進化を繋げることができたのだと思う。
字も然り、絵も然り、音楽然り。
火の起こし方、料理の仕方。
掃除洗濯、ホイホイスイッチオン。
パタパタママの世界観で。
学校で教わっている勉強というもの自体が、先人が積み重ねた叡智を秒でパクっている。
パスカルの定理は、天才的な人物であるパスカルが16歳の時に証明したのだけど。
三角形の内角の和が180度だとか、今ならもれなく小学生のほとんどが理解している。
地球には重力があり、自転と公転をしていて、宇宙には惑星があることも、殆どの人が知っている。
これは知識を共有しているから、とも言えるけど、知る権利に応えて、知識をパクっている。
料理なんて最たる例じゃないか。
僕は、料理本やレシピ無しでは作り得ない料理が、それこそ星の数ほど存在する。
覚える気が無いのかも知れないのだけど、毎回レシピを参考に料理を完成させる。
参考と言えば聞こえは良いのだけど、時にはスタートからゴールまで丸パクリで料理を作り、子ども達からは「お父さんの作ったご飯は美味しい」と言わしめる。
そして有頂天なのだ。パクってるクセに。
それで僕は満足なのだ。パクってるんだけど。いづれレシピを見ないで作れば、「オレの料理」となるのだろう。完全なるパクりのハズなのに。
しょうゆラーメン作ったの、誰なの。
煮干しでダシを初めて取ったのは。
鶏がらスープ発明したのは。
犬くらいしか骨の価値知らないと思うんだけど、骨茹でたらダシ出るってよく知ってたよ。
天才だよ。
おかげでこの僕でさえ、頑張れば自宅でラーメンが作れてしまう。
企業においては、特許権の取り合いによる模倣合戦が繰り広げられて、よく言うと切磋琢磨している。
かの有名な松下電器産業は、「マネした電器産業」と揶揄されるほどに、シロモノ家電においては後追いでもシェアを取り続けていた。
良いアイデアも、商売になれば模倣されて、大規模な価格競争になれば大手には勝てない。
家電のみならず、全てのコトやモノに通ずるなと、しみじみと思う。
そういう価値観がある中で、正面から当たらないで世界戦を張っている方もいらっしゃる。
マネしようにもマネできないという事なんだろうけど、この時代にマネができないのは凄い。
人は、少なくとも僕においては、自分なりのオリジナルを探している。
オリジナルと言うと聞こえも良いけれど、元々あるモノ、コト、ジャンルなどにおいて、更に進化させた形にする、もしくは違う形にする、ということ。
これがオリジナルの定義なんじゃないかと思う。
世の中パクリパクられ出来ている、とは言うものの、ある一定のレベルを越えると、パクる事すら困難な事が往々にしてあることも事実だ。
マネしようにも、マネ出来ない。
今のいままで書いてきた例え達こそ、全てがそうなんだ。
野球、字も、絵も、音楽も、料理も。勉強すらも、そうなのだ。
メンタルなんかもそう。
思考を変えようにも、上辺のテクニックだけでは本質が変わらないから、結果変わらない。
パクって上手くいくようで、実は上手くいかない事も沢山ある。
そう考えると、産み出す方も、パクる方も、相応な努力や修練が必要だ。
これから画像などのデータや文章など、パクられ易かった無形のモノ達がNFTの普及によって元の権利者が明確になる時代になる。
そうなれば、パクってもらう事は拡散してもらう事となるから、パクられる事がハッピーになる時代がやってくるのだろう。
オリジナリティーという事は何なのか。
僕だけの特別な何かは、他人にとってはどうでも良いものということが、結果オリジナルなのかも知れない。
※著作権侵害はダメ、絶対!
3000文字チャレンジ発起人、こぼりさんもパクってるらしい。
お互いがWin-Winの関係なんだろうな。
フランチャイズ契約とか、のれん分けみたいに感じる。
では、そういうことで。