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アイデンティティとギャンブルの話をしよう

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どうもどうも。

全く筆が進まないと考えていた矢先、無謀にも3000文字チャレンジに手を出しているユウキノスケイ(@yuukinosuke24)です。

#まさにギャンブル

 

3000文字チャレンジ、111回目のお題は「ギャンブル」です。

自称、週末の馬券師を名乗る僕としては、筆が走ろうが走るまいが無意識に書き始めるお題ですから、書かないはあり得ないです。

3000文字ギャンブル、行ってみたいと思います。ヘイカモン。

 

日本人のアイデンティティはどこにあるのか、なんていう読み物に目が止まった。

確かそれは雑誌だったかもしれないし、現代文の問題だった気もする。

アイデンティティとは同一性、個人においては自己同一性ともいう。

その文章では、日本人のアイデンティティに比べて、欧米人の方がアイデンティティが明確であると言うような事を引き合いに出し、ひとつの結論として、日本人らしさというものを取り戻していく、再び作っていくべきだ。といった結びだったように記憶している。

なるほど。欧米の民主主義を取り入れた結果、日本人のアイデンティティが揺らいでいるよ、と言った論旨だ。

 

その文章に触れた時、僕はまだ10代後半から20代になりたてくらいの、まさに自分自身のアイデンティティというものについて、これから向き合っていくであろう時代のことだった。

自分とは何なのか、やりたいことは何なのか。

その関連の情報を漁り、当然のように影響を受けた未熟な僕は、その後暫くはアイデンティティという知識(武器)を得て、恥ずかしながらその武器を振り回して歩いていたような気もする。

日本人のアイデンティティというものについては、その時代ごとに代表的な思想や精神論があった。

僕の適当な記憶の範囲なので、間違いもあるかもしれない。

日本は神々が創り出した神聖な国であり、その血を引く天皇と共に現在に至る。

その間に人々は、貴族社会に於いては文化の発展や日本語の進化を成し遂げている。

武家社会に於いては忠義、武士道精神、切腹、命より士道という生き様がある。

幕末に於いても、いかにこの日本という国を守り発展させるかという精神が全面にでていたし、開国後に於いても、愛国心に溢れる人々の集まりだった。

それは、第二次世界大戦敗戦後に立ち上がった時も、同じだ。日本人、力合わせて国を、人を守る。

これは全て、僕たちの祖先から脈々と繋がっている事だ。

これだけでも、大分誇り高い。

つまりは日本人のアイデンティティとは、国を愛する心、人を愛する心、ザックリまとめてポンで行くと「和の心」だと思う。

なんか適当感出てしまったけど、学生時代にたどり着いたのが、確かこんな感じだった。

 

では、僕のアイデンティティとは何なのか。

 

僕は、自己評価が得意ではない。

かといって他人をおいそれと評価できるかというと、そこまでの眼力があるとも言えない。

その確たる証拠に、僕は昔から女性を見る目がないと言われていて、僕もその通りだと思って過ごしている。

表面的な美しさに心奪われ、内面を見る鏡が曇るのだ。これは仕方ない、仕方ないのだ。

表面が美しい人は、内面も、いや心さえも美しく見えてしまう。

人間の想像力は都合が良くできている。

これは幾つかの経験から、決してそうではないということは証明された。

しかし男はそれでも鼻を伸ばし、そして侮蔑の目で見られてしまう。

歴史は繰り返されるのだ。

そのため、僕は考えた。

そして、苦肉の思考にたどり着いた。

(僕の目に止まる女性は○○○である。第一印象で僕に好かれる女性は△△△である。笑顔がステキな女性は▲▲▲であり、優しく接してくれる女性は◎◎◎である。それでも僕の網を抜けた人は、全て☆☆☆らしい女性である。と思考転換する事としている。)

#もうその辺でやめとけ

 

そうする事で、異性として見るのではなく、1人の人としてニュートラルに構えられる。おかげで、少しは心眼が通るようになる。

でも、コレを全て口に出して言ったら、間違いなく軽蔑されてしまうだろう。

そして誰でも見れるブログに書いた時点で、大きなリスクを背負い、全くリターンが得られないのであろう。

でも、大丈夫。()の中は心で思ったことという設定。口には出してないから、気にしないで下さい。

・・・・・・。

無理かな?

ちょっとした笑いの為に、自分を捨てる覚悟を得る。カミカゼと恐れられた発想そのものなのだと、祖先から脈々と継がれてくるこの精神に感服するばかり。

この位のとんでもない眼力なので、人を見る目がないということについてはお分かり頂けると思う。

#例えが捨て身で泣ける

 

そのおかげなのか、これは良い事なのだけど。

素晴らしいと思う人、目標になる人はいるけど、自分の尺度はアテにならないから、人との比較は嫉妬に繋がらなくなっている。

それと似たもので、第三者からの評価というものがある。これは自分についての物差しにもなりえるかもしれないが、これも世間や人との比較ありきになってしまう。

だからこれも気にしない。

 

自己評価が得意ではないというのは、自分自身について理解しきれていないということに他ならない。

僕はどこに向かって歩く、どのような人間なのだろうか。

やはりここで考えることは、僕のアイデンティティはどこにあるのか、という事だ。

日本人のアイデンティティを「和の心」と考えた過去の自分がある。

和の心とは、侘び寂びの事なのではないだろうか。わび・さびについてはググった内容を拾って書きます。

「日本の美意識のひとつ。貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。」※wikiより抜粋

侘び寂び、これも日本人のアイデンティティとしては申し分ないな、と思う。

では、僕のアイデンティティになり得るのか。

侘び寂びを分けるとするなら、

侘びが「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。」

寂びが「奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。」

という事になる。

 

そうですか。

なるほどなるほど。

一見すると寂びの方に心が惹かれがちになる。しかしこれは、僕ではない。

何故ならば、美しさの中におのずと感じる奥深いものは、まやかしだと知っている。そしてその見分けがつかない以上、僕のアイデンティティとは言えない。

#相当なトラウマ持ってそう

 

では、侘びはどうだろうか。

これは意外と、悪くない。

言葉だけ見ると、何となく寂しげな、虚しさを伴う印象に感じる。

よく考えてみれば、人生はその繰り返しなのではないだろうか。

足りないから吸収して、足りないから増やす。人間の欲や志には果てがないから、どこまでいっても貧相であり不足だ。

その心の充足を見出そうと意識している。

 

悪くないというより、むしろ良いなと思う。

 

どれかと言えば、僕のアイデンティティは「侘び」という事が、今わかった。

なんだか深いな。

「あなたのアイデンティティは?」

「侘びです」

ヤベー、カッコ良すぎるw

これはキマり過ぎてて逆にスベりそうだ。

でもまあ、「侘び」で行きます。

カッコいいから。

僕のアイデンティティが決まりました。

 

さて、話が変わります。

僕の趣味のひとつに競馬があるが、僕は勝負事が好きなのである。

人間の欲は果てなくて、それを逆手に取って栄えているのがギャンブルと言われるものだ。

先人の多くはギャンブルはよした方が良いという。そして、よした方がいいと言う人の多くがギャンブル経験者である。

これについては、酒を飲みながらタバコを吸いつつ、健康の大切さについて語る人や、朝昼晩お腹いっぱい食べていて「痩せない」と言っていたりする人。こういった事と、ギャンブルとの違いが僕にはわからなかったのですが、ようやく理解できてきた気がする。

どのような事においても、人は貧相や不足の中に心の充足を見出そうとする意識がある、ということなのだ。

つまりは、多くの人のアイデンティティは「侘び」なのかもしれない。

 

という事は、みんなギャンブルが、競馬が好きという事なのかも知れない。

趣味の競馬が肯定されたようで、すっごく嬉しい心持ちです。

 

今週も心を充足させるべく、予想したいと思いました。

#何かがズレてる

 

では、そういう事で。