どうもどうも。
丸くなるな、星になれ!
競馬の話ですが、2歳戦が得意でないと自覚しているつもりなのですが
何故か2連勝したユウキノスケイです。
#奇跡的な展開
今週末、息子が足が痛いと言い出したので巣ごもり的に家で過ごしました。
足が痛いのレベルも色々とあるかと思います。
ちょっとチクチクするとか、ズキズキ痛むとか。歩けない程の激痛から、立てない位のダメージまで。
こればかりは本人に聞かないとわからない。
息子の場合は、引きずって歩く感じでした。
これ、いつどのタイミングで起きたのかが、ホントにわかならい。
金曜日に学校から平然と帰り、その後4時間、テレビ見たり本を読んだりしながらウダウダこたつで過ごし、立とうと思ったら激痛。
・・・寝違え?足で?ないない。
そんな事思いつつ、3日かけて何とか復活の様相に、ひとまずはホッとしています。
それとは裏腹に、妻は心配性なんですね。
心配というものについては、僕は同意できません。というのも、心配はしても意味がないと思っています。
相手のことを思いやる気持ちは大切だと思っています。大切であればある程に、気持ちが募るものでしょう。
相手を思う気持ちと、心配というのは違うと思うわけです。
※この先は、私見が満載で振り切りまくった持論が展開されます。読んで後悔するなら、今辞めた方が身のためかもしれません。
とりあえず言いたいのは、読んでも嫌いにならないで(笑)
僕は心配はしても意味がない。心配するなら現実を受け入れて、その先の最善を尽くす方向に邁進を考えます。
#なんか冷たいやつ
なんか、メチャクチャだけど笑わせて治すとかそういう方法考えるとか。
そもそも、相手を思う気持ちがあるのなら、常日頃から相手を思いやっている訳です。
例えば、具合が悪くなったら途端に優しくされるとかあるじゃないですか。
熱出して寝込んでる時は親は優しいみたいな。
僕から言わせれば「大事なら普段から優しくしとけ」です。
なんで追い詰められたら優しくすんの。
ピンチに手を差し伸べて「あぁ、やっぱり本当は大切に思ってくれてるんだ」というアメとムチを使いたいのかな。
これは、全く効果ないと思う。むしろ逆効果というか。具合が悪くないと優しくしないなら、子供は具合が悪くなることしか考えなくなる。
そして、親があれこれ不安要素を並べ立てると、子供が余計に不安になる。
だったら、とりあえず全てにおいて「大丈夫だよ」と言うべきだし、いつも笑顔で接した方がみんなの為だと思う。
家族に限らない話で、相手の状況で態度を変えるのは一般的だとは思う。
でも、その目線を少し変えて人と接すると、全く世界は違って見えると思うんだけど。
同情すべき状況に陥っている事を聞いてから態度を変えるよりも、自分が常に周りを見る目や視野を持っていることによって、言われる前に違和感に気づく事ができる方が良いなぁと思うし、出来ることならそんな人間になりたい。
僕は自分が死ぬかもって思った事があるから、それによって成長させて貰えたのかもしれない。「かも」でなくてそれはまだ可能性がある話だけど。
でも、死ぬかも経験しなくてもそういう気持ちを相手目線で持てる人は、既に一段二段上のメンタリティがある人だと思う。
で、そういう人は例外なく偉大。
難しいところだけど、いつもそういう風にありたいなと思っている訳です。
ブリとタイをシャブシャブで食べました。
凄い、ハンパなく美味しかった。
では、そういうことで。